昭和42年06月06日 朝の御理解



 付け焼刃の信心ではとれやすい、どうぞその身からの打ち込んだ信心をしてくれ。どうぞ、その身からの打ち込んだ信心をしてくれとこう仰る。これは信心に限ったことじゃありませんけれども、何をするにもね、その身から打ち込んだものでなからな詰らん。付け焼刃じゃとれやすい。取って付けた様なものじゃいかん。その身から打ち込んだものじゃなからにゃいかん。御用でもそう。ね、
 ちょっと取って付けたような御用、では御用が御用にならん。その身から打ち込んで御用でなからにゃ詰らん。そんなら所謂なんでも同じだけど、取り分け信心はですこしごしといかにゃいかんちゅうこと。その身から打ち込ちこむと言う事は、もう「こしごうし」といかにゃきゃあいけんと。例えて言うならば信心に時間どもが気に成る様な事じゃあ、おかげにゃならんともうこしごしと。
 その身から打ち込んだ信心をしてくれと。その身から打ち込むと言う事は、そんならどう言う事に打ち込むか、そこでまぁここにこうしてご縁を頂いておられる皆さんの場合は、どう言う事に打ち込んでおられるだろうか。またここの中心であります、いうなら私しの信心はどこに打ち込んでいき、又これから打ち込んでいこうとしておるだろうか。先ずは私それを皆さんが、体得して頂かなければならん。
 ここで稽古をするならばそこん所を一つ、同じ焦点を置いてから打ち込まなければいけないと思うってすよね。昨日今あのう中村さん所の娘、恵美子さんが福岡におります。もうここ1週間あまり毎朝、お日参りをしてまいります。お参りしたいのですけども、中々主人が信心がございませんから、中々思うようにいかん。そんでこのあるちょっとした願い事が御座いましてから、主人に相談しました所が。
 ほんならお前が定期どん買うちからお参りすりゃよかたい。と言う事になった。でまぁ定期を買うて毎日参って来るんです。昨日お参りをして参りましてから、あのうお届けなんです。色々お願いをさせて頂いて昨日、一昨日でした。もう「先生実はもう子供達がもうとにかくそのうけんかをする。勉強はせんなけんかばっかりする。もうそれでもう私もイライラする主人も、そのうやかまし言うて怒る。
 もうホントにいっちょ子供が言うこつ、素直に聞いてからどう勉強する様になりますごと」というわけです。丁度そのまぁ喧嘩する頃ですよね。2年生と1年生でしょうか。年子のようにしております、娘と息子ですけれども、娘の方が少しそのう、まぁよう喧嘩するわけなんです。下の方がまぁ息子じゃもんだから、それに負けまいとしてから一生懸命やる。もう親両親の方がカッカッくる様にあるわけなんですね。
 そこで私はあのうこの事を、お取次ぎさせて頂いてからお話ししたんですよ。まぁだ三代金光様のご御時代ですかね、三代金光様のお話しを聞いた事がある。三代金光様のお居間は、勿論立派なお居間でございましょうけれども、もう柱と言う柱ふすまと言うふすま、壁という壁はもう、お孫さん達のその部屋で、チャンチャンバラバラされたり、けんかをされたりするのでその。
 いっぱいその汚れたり傷ついたりしておるそうで御座いますね。もうそりゃ非常にお孫さん達が悪さをなさる。悪さじゃないけどもけんかをなさる。丁度そのある時ある先生が、なんかご挨拶に出ておられる時にそのう、孫さん達が部屋ん入って来てからまあ、喧嘩をされるわけですね。ほいでその金光様にまあそのう「大変お元気がおありになりますね」と言うてそのうご挨拶を申し上げた。
 したら金光様が仰った事は、はい大変よく働いてくれます。と仰ったそうです。子供さん達が喧嘩をしたり悪さをされる。それを見てからはいよくそのう働いてくれます。とこう仰った。と成程子供は子供でありゃ働いておるんだ。と喧嘩しておる事もいたずらをしておる事も、ありゃ働いておるんだと、あれがもしこの子が一人でもそりゃ寝て、親が抱えきりで看護でもせにゃ、ければならないと言う事になればです、ね。
 親の働きまでとってしまう。かかっておらねばならん。親が働こうとするその働きまで出来なく成って来る。子供は子供で子供の世界があり、子供はあれで結構働いておるのであるからねぇ、そう仰ったんで御座いましょうよく働いてくれます。と「それけん恵美子さんそりゃんあんたもう、喧嘩しようとると思うと、そげんカッカしよるけれども、働いとると思うたらあんた、神様に御礼申しあげにゃいかんよ。」
 「先生そうで御座いましたね」と言うてから帰ったんですよね。でもその事を本当にそうだと思うてか帰らせて頂いたら、もうその日はとっても二人が大人しいんだそうですよ「まぁ神様ホンットに打てば響く、といつも親先生が仰るが打てば響く事ある。」親の心のそのまま現れが、子供の現われなんだ。ホントに恐れ入ってしまう事じゃあると言うてから、まぁ有難くお礼を申し上げ、申しておったんですね。
 ところが夕方になってきたらまた、こりゃまた喧嘩を始めたち。まぁたそれがもういつもと違って、こんどはもうヤリヤリやるげなもん。丁度主人も帰ってきた。そん時に恵美子さんが思うたそうです。「子供達が今働いてくれとる」と思うたっち。そしたら「もうホントあんただん、喧嘩ばっかりして」というて怒る事もいらなければですね。神様に「子供達があげんして働いてくれよります。」
 と思うてからお礼を申させて頂きよりましたら、いつもはもう主人が帰ってきてから、もう「帰ってくりゃこげなけんかする」と言うてから、やかまし怒る主人がですね、見て見らぁんふりしとるげなもん。もうそれがまた有り難いわけなんですね。そしたらもうその日は、ほんなっもういっちょばかりヤリヤリやりよったけれども、すぐその喧嘩をやめてですね、「おい勉強しゅいら、弟の方が言うちから。
 「勉強しゅうや」ちから姉さんにから言うげなですもん。「もう先生ほんっとに恐れ入ってしまう」っち言うてから昨日、そういうお届けをして帰りました。これも昨日ちょうど夕方でした。ある若い夫婦が参ってまいりました。話しを聞けば聞くほど理不尽ですね。実にもうお話しにならない。その周囲がです、ね、一番下の妹に養子を貰いました。もう姉さんどんが根性の悪さというか、分からんというか。
 もう話しを聞いただけで、ほんなこてもう人間的に聞くならですね、もうしかもそこにたくさんの財産があるわけでもないのにですね、とってもよか養子なんです。ちょっと気が利きすぎとるというのが、まぁ傷ぐらいですけれどもですね。それでも折角自分なこうして養子に来たけれども、まぁ自分は出るとこう、だからあなたが出るなら私も出るとこういう。自分が大体親を見る、そのう見るというわけじゃないのですね。
 一番下の妹を3人も4人も姉達がおるわけなんですよ。それがもう移り代わり来てから、そのうお爺さんが一人おられるわけ。いらん事焚付けてはそのヤリヤリ言わっしゃる。もうしかも先日なんかはもう、来てからその夫婦の事を悪口雑言、その姉が二人の姉が来てから言う訳です。それが二人の姉と何人もおるとですよ。ね。だからまぁ私が出るとやわそのう嫁になるのもまぁ、私一緒ん付いて行ききらんというなら。
 それでいいけれども。ところがそのう嫁はあぁたが行くとこなら私も付いて出てくると、こういうわけ。「先生こう言う様な場合、今日御相談にあがったんですけども、どういうふうな道をとったらいいだろうか」と言うわけなんですよね。それで私はこりゃもう私が例えば(人間的にきとったらもうう、?)そりゃほんなこて、その姉達に「そんならあんただんがこの家は見なさい、親見なさい。
 あたしだん出て行く」というのが当たり前、というごたる気がする。けれどもここにまあ一つここに考えんならんことは、折角ならばその姉妹たちの婿さんかなんかに、ちった物ん分かるとはおらんとの。っち私申しました。それが皆その、姉達がやり手じゃもんじゃから、そのみんな尻の下に敷かれとるとばっかりおるなわけなんですね。それけんなら、おじさんか、おばさんかっちいうごたるとに。
 その「実はこう言う様訳だ」と言う訳を聞いてもろうて、そして出ると言う事をして、出らなけりゃいかんですよ。とあたくしは申しました。これは二つの生き方だ、もうだぁれにも言わんな、こう出ると言うとっから出ると言う生き方と、ね、そすとならおばさんかおじさんかに話してから「こんなわけだから」ね、誰が聞いても「そんならもうそれはとてもほんなこてあんただんが辛抱しゅごつもなかろう。
 おろごともなかろう」と言うに違いないと。だから「いっぺん中にそのたって貰っておる、人手はなからなばです。おっちゃんならおばちゃんなりに、聞いてもろうて出らんの」と、どうせその親子との縁を切るわけにはいかん、姉妹の縁を切るわけにはいかんから、話しをしてから出らんなければ、後々がまた困るから、ということが一つ。最後には御神意を頂いて、御神意のままにするという3つの生き方がある。
 他にはもう手はなかろうごたんね。と言うて申しました。「先生、実はあんたがあたしに相談というなら、今二つのことをとる以外にないけれども、御神意を頂いていただいて、御神意のままにするというなら、あらためて、あたし、御神意を頂こう」と言うて。家内のほうが信心が厚うございますから、実はその言い方が悪かったんですけれども。「ご相談にあがったというのは。
 その御神意を頂いていただいてから、まぁ考えたいとこう主人が申しますから。」とこう言うのです。そんなら改めて神様にお伺いさせて頂こうというて、その事をお届けさせてもらったんです。そしたらですね夫婦のものが自動車にのって主人が運転しておる。で家内が横に乗っておるわけなんですね。自動車の前のボテん所ですね。まぁ進んでおるところにですね、もうあたくしが見たらもうひげ虫とも分からない。
 ひげ虫てこんな大きなですよね。なんかあのどんごろしと言いますか、あのう毛布の汚いような固めたようなのを、前にその運転をこうしていきよる、その自動車にそのう投げかける誰かが。こっちからかけたりこっちにそれがまぁちょっと見んなら、ひげ虫のごと見えるわけなんですよね。もうそれこそこうやって運転しておるそん前にですね。虫のようなどん殺しの様なものを誰かが引掛けよる。かというてなら運転に差し支えるというほどしじゃないわけなんですよ。
 道が真っ直ぐにあれば、その真っ直ぐい道を運転してね、これが例えば客席の中に、夫婦が乗っておるそこへ入り込んでくるならばですね。こりゃ困るでしょうけれども、客席の中じゃない運転台じゃない、助手台じゃないその前のぼてん所へこうやって。もう本当にいやなそのひげ虫のような感じの、大きなどんごろすの様なのを、こうやってなげかけよるわけ。ね。人生って言うものはね、そういう嫌な嫌な事もあれば嫌な嫌なもうホンットに障害があるものだと言う事なのです。と言うてね夫婦の愛情の中にまで入り込んで来ると言う事は出来んのですよ。これはね。夫婦が者が心を合わせてさえおけば。運転しておる助手台に家内が乗っておる。
 そこん中にまでどんごろすが入れ込むと言う様な事をすりゃ、いざ知らずじゃけれどもそうではないのだから。ね。身の回りのそのどんごろすのごたるとやらひげ虫のようにずるそういう嫌な事はです、ね、嫌な事としてです、そこん所を嫌なら嫌で、神様におすがりさせて頂いてです、そこん所を辛抱させて頂く、真っ直ぐいその運転に、誤りのないように、そんために運転を誤る事のないように。
 真っ直ぐにおかげを頂いていこう、運転していく以外にゃない。成程今あんたがが夫婦別れ、成程そりゃ楽になるだろうけどれも、なら家内は姉妹は姉妹親は親だと、こういう一生果たしてそれですむだろうか。んね又は今あんただんが新婚早々で仲もよういきよるけどれど、夫婦の中にどういういわば、危機が迫ってくるようなが、愛情の危機が迫って来る様な事がないとも限らん。
 そういう時にどう言う事になるか。それこそ私し共には分からん先の先の事まで、神様のお考えというのは考えてくださってある。そして道を示して下さるのであるから、ね、ここん所は例えば姉がどう言うた、姉妹がどう言うったて言った様な事は、もうきかんかしと思うてこれから聞いてもです、只前のほうへ汚い嫌な物が掛って来るだけの事である。そう言う事なのかはもう耳にせずにです。
 はがゆいと思うなら情けないと思うなら、そこんとこだけは神様におすがりして、この運転を誤らんように前へ進んでいく以外にはない。それが御神意を頂いてからの道というならそれしかない。この三つしかない行く手には。さあそれで私は信心のないあなたの事だからどれをとれとは言わんけれど、ね、これならばしかし絶対幸せな道だ。あんただけの、幸せ二人だけの幸せの道ではなくて、親も立ち行く道が開けるだろう。必ず訳の分からんことを言うておる、姉妹たちも姉達も道の開ける。
 所謂おがげを頂く道が開けてくるのだろう。そして後々でよっと分からせて頂く事は、あれは姉じゃなかった姉妹じゃなかった、あれは神様の姿であった。と分かる時期が必ずくるだろう。ああ言う事のおかげで信心のなかった自分が。家内と一緒にお参りをさせて頂いて、お話しを頂いたのが初めてだったと言う事になって、ね、そこにはあんたどんが夫婦の立ち行きではない、ね、親も立ち姉妹も立ちあんたがだも立ち行く、そしていっぺんあんたん所のお母さんという人が。
 ここにお参りをしたいっち言いござるから、あんたんがたんお母さんと思うて、あたくしの話しをいっぺん聞いて貰いたいとも思う。というて私はお取次ぎさせて貰った。3時間ぐらい色々お話しを致しました。ね、非常にその頭もいいでしょう。中々お話しもテキパキと出来ますし、もうほんとにしゃんしゃんしとります。もうあたしからこりゃ言うちゃ失礼だけれども、そこの養子にくるぐらいの養子じゃないです。
 大体言うたらもうどげん考えったっちゃ、言うたっちゃほんなあそこの姉妹ははんなごて、馬鹿じゃなかじゃろうかというごたる感じなんです。もうほんとにこげなよか養子にきてもろうて、ほんとにあんまり対した立派な親でもない親を見てもろうて、その家をたててくれて、ほんとにお世話でございまっしょち、来るたんびに御礼言わなりゃんごたる感じの家なんですよ。
 それを来て反対にだからもうこれでは先も見えとるからと言うて、所謂この人はいつの場合でも、その結婚式の時にも私しここへ参りまして、そん時に合うたんですけども。もう結論を先言うですね。そりゃだから実にお話しも上手です。だから分からせる事のためには、結論先に言うてお話しをする事は大変いいですけど、あんたは結論を早く出し過ぎる。だから信心というのはいつも未知数なんだ、ならこれから先どういうおかげを神様が下さろうとしておるやら、分からんのであるから。
 そこん所に結論を出したら、もうほんとに今家を出るよりほかにはないのだ。だからあなたはこりゃあの今度の家庭、こうした問題だけではなくてお商売の上にでもですね「あんたは結論をあんまり早出し過ぎて、失敗しよることがあるですね」っち言うたら「はっ初めてそげな事聞きました」っち「私しは商売の上でも確かに、そういうあれがありますからその事を、そういう欠点がある事を自分に心掛けさせて頂きます」と言うて、大変そういう意味合いでも喜んで帰ったんです。
 例えば私は二つの昨日の例話を皆さんに聞いて貰いました。恵美子さんの話し。それから今の話し。ね、私の信心の生き方にはですね、そういう二つの生き方の中に、様々な信心の、打ち込みというのがあるのです。その身から打ち込んで信心をしてくれと、こうそれをんなら言葉でもって言うならばです。ね。「我良しと思う心を仇として、夜ごと日ごとに戦いていけ」とことなんです。
 同時に私はいつも申しますように、ね、「成り行きを尊んでいきなさい」、結論を先に出しなさんな、って、ただ神様のお働きである所の、自然の働き、自然の成り行きそのものを合掌してしっかり、その事を受けていきなさいとこう言う事も、その事を合掌して、自然の成り行きを大事にしていきなさいと言う事なんです。ね。二つの中にそう言う様な事が含まれてはおると思うんですよ。ね。成り行きを大事にしていくと、しかもその成り行きを大事にしていきよる、その生き方の中にはです。
 それこそもう一番嫌なひげ虫のよな感じの嫌なその、それこそ運転に支障を起こしはきたさんけれども、その気でおれば。もう嫌でたまらんという。結局どう言う例えば、あの大概一つの場合であろうが、問題であろうがですね、その人の心の中にまで入って来る事はでけんのですよ。ね、姉妹達がどんなにガチャガチャ言うてもです、うんなら夫婦の間に入って来る事も出来ないし。自分の心の中に入って来る事もいらんのです。出来んのですよ。ですからそこんとこの間違いのない運転を続けて。
 いわゆる成り行きを大事にしていきよるうちに、姉妹も立ち親も立ち、自分達も幸せになれる道が、絶対に開けてるんだと言う事が、私のこれは生き方であり、私はそこに打ち込んできたと言う事なんです。子供が悪いのじゃない。主人がごちゃごちゃ言うのではない。ね。そこんところをある場合には、働いてくれておるんだと頂き、ある場合には、親の鏡だとそれを思わせて頂いて、恵美子さんが一昨日1日をそういう風に体験させて頂いておるようなです。
 在り方で日々を進めてそういう、そう言う事に私は打ち込んでいる。そこには我良しと思う自分なよかばってん、子供どんが悪かと言う事ではない。もう子供達のにそれこそ身に余るような在り方という、そのものを私の心の中にあるのであると言う事。我良しと思う心をそれこそ仇のように思うて、それに取り組んで、ね、しかもそれを夜ごと日ごとに自分の心の中に頂いていこうという生き方、そういう生き方に打ち込む。ね、そして成り行きを大事にしていく。その上にです。
 もう一つ私が言うならば、私の信心にはですね、いつも申しますように、節度を尊ぶ。節度を大事にすると言う事。これからこれまでと思うたらです。私しは一分でも一厘でもそこを間違え、間違えてはならないという信心なんです。例えば皆さんで言うならば、日参きめると言うたら、もう誰がなんと言うても、どのような場合でも、這うてでも、やはりそれだけは実行してきたと言う事なん、もう何時にと決めたらもうこれこそ、一秒間だって遅くなしちゃならんという、一つ信心の節度をです。
 それはお互いの信心の程度程度に応じてからの事で御座いますけれども、それを私は行じ守り抜いてきたと言う事なんです。もう一つ言うならです。これに祈念力と言う事もある。一生懸命に拝むと言う事なんです、ね、一生懸命に拝むと言う事に打ち込ましてもらい、ね、自分の信心のここにこうと、決め誓った事ならそれを一分一厘も間違わんように実行しぬくと言う事に打ち込む。
 そして成り行きを大事にさせて頂きそして、我良しと思う心に本気で取り組んでいくという事に、打ち込んできたというのが言うならば、あたくしの信心のまぁ全てではなかろうかと自分では思うのです。そこから私はおかげを受けてきたと自分では思います。皆さんもやっぱりここで信心の稽古をなさるならです。そこん所に一つ本気で打ち込んでいかなければならない。そこん所に本気でひとつこしごしとした、信心をなさらなければいけない。ね、それに時間が気になる。
 朝参りにゃ出てもこげん日のん上がって帰るとは筈かしか、と言う様な事ではですね、もうこしごしと誰がなんと言うても、ね、私はもうこれは私の信心の節度なんですけれども、ね、朝だけは絶対皆さん本位じゃないんです。もう絶対あたくしは神様本位なんです。ですからとても今日は朝じゃ忙しい。今農繁期じゃから、少し御理解を短かめにしょ。そげな事はもう、絶対に考えませぇんです。
皆がけそけそすんなら、なおでんこっちは落ち着きたいごたっ気があります。ね。というのは皆さんにほんとッにおかげを受けてもらいたい。いや本気でこしごしとした信心をして貰いたいと思うからなんです。ね、付け焼刃の信心では取れやすい。どうぞその身から打ち込んだ信心をしてくれとこう仰る。その打ち込むというのはどこに打ち込むか、その打ち込む所をあたくしはここに、こういう風に打ち打ち込ん出来たと言う事を申し上げましたですね。
   どうぞ。